1999-06-08 第145回国会 参議院 国土・環境委員会 第19号
代々木ハイツとかグラント・ハイツとか、当時、戦後のどさくさの時期ではあったわけですが、先行オーダーで一気に家を建てた。ところが、家を建てたのは日本人の大工なんですけれども、その中身たるやかつての日本人の住まい方と全く違う。芝生を敷き詰めた一戸建てで、大きさは三十五坪といいましたでしょうか、そんなに大きな家ではなかったようなんですが、非常に今までになかった家を建てた。
代々木ハイツとかグラント・ハイツとか、当時、戦後のどさくさの時期ではあったわけですが、先行オーダーで一気に家を建てた。ところが、家を建てたのは日本人の大工なんですけれども、その中身たるやかつての日本人の住まい方と全く違う。芝生を敷き詰めた一戸建てで、大きさは三十五坪といいましたでしょうか、そんなに大きな家ではなかったようなんですが、非常に今までになかった家を建てた。
このうち百億以上ということでございますが、四十五年から四十九年にかけまして、東京都グラントハイツ、武蔵野住宅地区の返還に伴いまして横田飛行場へ住宅などを移設したものがございます。それから、四十八年から五十二年度にかけまして四百四十八億円で、立川飛行場など六施設の返還に伴いまして、これも横田飛行場などへ住宅、学校などを移設したものがございます。
しかし、豊島区民が大変密集した地域に住んでおりまして、災害等の一たん緩急あった場合には大変避難場所がない状況でございまして、墓地であるとか大学の敷地であるとかあるいは先ほど申し上げましたとおりグラントハイツ、練馬区でございますね、そういうような大変遠いところに避難しなければいけない、そういう状況下でございますから、私は公共用地としてはやはり造幣局の東京支局であろう、こういうようなことで豊島の皆さん方
光が丘公園というのは、グラント・ハイツの地域をいろんな運動でああいうふうになって、それでなかなかすばらしい住宅地域になっているわけなので、そこを業者はかなり強硬だったのでそういうことになったかもしれないし、私たちも業者が被害を受けていいと思っていないんです。
そこでちょっと大蔵省に伺いますが、この用地は旧米軍のグラント・ハイツの跡地でありますが、この処分、どんなふうにしておやりになりましたか。
そこでさらに、都の方に売却した場合は国有財産特別措置法第三条に基づいて減額されていると思いますが、この減額システムと、それからこの土地、グラント・ハイツ売却の場合の減額の割合がおわかりでしたらお知らせ願いたい、大蔵省さん。
こんな関係から緊急避難の公園等々はグラント・ハイツ、光が丘と申しますけれども、光が丘に行かなくてはならないとか、あるいは立教グラウンドその他のところがございますけれども、大変遠いところまで避難をしなくてはならないという状況下でございます。
○熊代政府委員 東京都におきましては、十二号線の免許区間、西新宿−高松町間、先ほど申し上げました三十八・九キロのうち、グラント・ハイツ跡地開発に関連する交通機関を確保する必要があることなどの理由によりまして、緊急性の高い放射部新宿−高松町間を先行して整備するということといたしまして、第一期区間として高松町−練馬間四・四キロの工事施行認可申請を五十年十二月に行ったところでございます。
東京都は、この十二号線の建設が東京都の進めております副都心の開発、江東地区の再開発、グラント・ハイツ跡地の開発計画などと密接に関連しておりまして、また既存路線と有機的な結合を図ることによって首都圏の高速鉄道網の形成を図る上に不可欠であるということで、昭和四十七年十月に西新宿−高松町間三十八・九キロの事業免許を申請して、四十九年八月に免許を取得しているところでございます。
○内藤功君 同じく郵便につきましてもう一問ですが、東京都の練馬区、板橋区にまたがる旧グラント・ハイツ、米軍の基地跡地ですが、ここに今光が丘団地というのが建設中、一部入居しております。昭和六十七年度には一万二千戸、最終には六万人に上る大住宅団地ができようとしております。しかし、ここには郵便局もまだ建設されておらないし、ポストも設置されていない。今二千四百戸が入っているんですが、それでもない。
特殊なところで、グラント・ハイツの光が丘パークは特殊なところだと、こういま言われておったから、ほかはそんなところじゃないんだろうと思う、ほかは。だけれども、そんなのがぼこぼこぼこぼこあったらば、それこそ公団の存在価値すら問われなきゃいけない、こう思うんです。 それから、さっきもちょっと話がありましたね、遠、高、狭という、昔、ずいぶんここの委員会でも議論があった。
これが一番最初に、これは御承知かと思いますが、旧グラント・ハイツでございます。ここで去年の十二月募集いたしております。これの賃貸住宅が一LDK、二LDK、三DKという三種類になっております。一LDKそれぞれ家賃少しずつ場所によって違っておりますが、平均で申し上げますと、一LDKが六万六千三百二十五円、二LDKが八万五千七百三十五円、三DKが八万五千七百七十円ということになっております。
○長田分科員 ただいま御説明がございましたとおり、建設中の環状八号線とグラント・ハイツを結びます計画につきまして、東京都ではすでに申請を出しておると私聞いておるのですけれども、この計画の必要性をどのように考えていらっしゃるのでしょうか。
○加瀬政府委員 補助百七十二号線が環八とグラント・ハイツを連絡する道路だと思いますが、この百七十二号は、補助百三十四号を起点としまして、グラント・ハイツの南側を通りまして、練馬区春日町で環状八号と交差し池袋に至る街路でございます。
○長田分科員 現在グラント・ハイツの跡地に都営、公社、公団の各住宅が建設中でありますが、そのうち千四百二十三戸すでに完成されまして、この三月から入居が開始されます。こうした状況から、グラント・ハイツと建設中の環状八号線を結ぶ道路、すなわち補助百七十二号線であります。この一部は地域の住民から、緊急性が非常に高い、何としてでも早期に開通を望むという声が非常に強く出されております。
○中川参考人 ただいま御指摘のありましたグラント・ハイツあるいは品川八潮のマンモス団地につきましては、事業そのものも大変地元の御協力を得て進めてまいっておるわけでございまして、そういった中で地元の受け入れ態勢も相当進んでおりまして、私ども御相談しながら、地元の中小業者の受注機会が得られるように努力してまいったわけでございます。
○中川参考人 地元と一体になってわれわれグラント・ハイツの開発と住宅建設をやっておるわけでございますので、先生の御要望のとおり、今後協力会のメンバーの方々にも積極的に参加していい仕事をやっていただきたいと思いますので、地元業者の受注の機会が確保されるよう、建築ばかりじゃなしに五団体の方々にも機会が与えられるように努力してまいりたいと存じます。
○長田分科員 運輸省は東京都から出されておる地下鉄十二号線の工事施行認可申請につきましては、現在保留されているわけでありますが、グラントハイツの状況は、昭和六十年にはバス輸送は限界に来ると言われておるわけであります。 こうした事情から見ますと、少なくとも高松—練馬間の四・四キロにつきましては、早期着工がどうしても必要じゃないか。私は毎年、五年間分科会でこの問題を取り上げております。
将来一万二千戸の住宅が予定されております練馬区のグラントハイツ、すでに建設が始まっておるわけですが、このグラントハイツと都心を結ぶ地下鉄十二号線の早期着工は、地元住民それから関係団体が強く要望されておるわけであります。都営十二号線につきましては、四十九年に路線免許が出されておりますが、東京都が財政上の制約から建設に踏み切れず、着工が延期をされておるわけです。
条件が合わないで移転を希望する人、どこかへ移転したい、こういうケースの場合、グラント・ハイツというのがいま開発中でございますが、むしろそういうところに優先的に入居できるような対応を東京都に働きかけたらどうでしょうか。
さらに、このグラント・ハイツは長い間基地だったということで、地元の感情といいますか、そういうものも尊重しなければなりません。したがいまして、地元の中小建設業の方々にはできるだけの配慮をしてまいりたいというようにいま考えております。
グラント・ハイツの跡地の住宅建設が具体化いたしておりまして、五十五年度には、先ほど申し上げましたとおり住建三社で三千百戸の建設が計画をされておるようであります。ところで、いま申し上げましたとおり、グラント・ハイツの跡地には現在交通機関が全くございません。
この計画は、都内最大と言われております大規模開発であるグラント・ハイツと都心を結ぶものであります。しかも、このグラント・ハイツには一万二千戸の住宅建設が予定されておりますので、地下鉄線の導入がなければ全く足なし団地となってしまうわけであります。こうしたことからグラント・ハイツの住宅建設ができないという状況にありますが、その後におけるこの計画はどこまで具体化されておるのか、運輸省にお尋ねいたします。
○原(茂)委員 それから最後に、練馬のグラント・ハイツの跡地の問題についてお伺いします。これは通告してありますからお調べになったと思うのですが、細かいことは申し上げません。もし必要があれば、私が細かくこういうふうに考えているがどうだという点を、聞きにおいでいただけば書類で差し上げてもいいのですが、どうですか、この担当者はどなたか知らぬが……。
○澤田(光)参考人 グラント・ハイツに関しますむつみ台の住民からの陳情問題、これは十分心得ております。しかし、先生のいろいろお考えもあるのでございましたらば、伺いまして詳細をお聞きしたいと思います。
また着工予定の中には、グラント・ハイツ跡地に予定しておりますところの練馬-高松間の十二号線については着工の目途さえも依然として立っていないのが現状であります。このような状況では、昭和六十年を目標とする基本計画の達成が可能かどうか。もし、これが不可能だとするならば、緊急性の高い路線について重点的に建設を推進していく決意があるのかどうか、先ほどの要望とあわせて大臣の決意をお伺いいたします。
その上、この地区には、都内最大の大規模開発でありますところのグラント・ハイツの跡地がございます。 この開発につきましては、五十三年度には都市計画が決定される予定であります。住宅公団を中心といたしまして、住建三社による一万二千戸の住宅が建設されるわけであります。
もう一つは、いま住宅公団の方からいろいろお話を伺いましたが、グラント・ハイツの計画についてもまだ具体的なものが十分固まっていないということもその理由の一つというふうに聞いておりますが、主な理由は先ほど申し上げました財政的な理由ではないかというように理解いたしております。
グラント・ハイツの開発もあるという理由でもって、とりあえず、第一期工事といたしまして、練馬−高松間四・四キロの工事施工認可申請が、昭和五十年十二月二十三日運輸省に提出されております。そして現在に至っておるということを私は聞いておりますが、この件について運輸省はどう対処されておるのですか。
これは大変広いものですけれども、この斜線を引いた部分をちょっと見ていただきたいのですが、これは避難をする者については非常に深刻でして、杉並の高円寺とか阿佐谷、この辺はグラント・ハイツへ行かなければならない。この間歩きますと二時間十分以上かかる。年とった人なんかは、逃げるよりもそこで死んじゃった方がいいというぐらいなんですね。
それから京都大学でございますが、これは四十六年八月の、東京の練馬にあります米軍のグラント・ハイツに対する暴動予備事件、これで四十七年の一月に指名手配を受けました当時京都大学経済学部の助手でありました竹本信弘、この人物の処分がことしの六月十八日に京都大学の評議会で分限免職ということで決定をされて、七月の八日に発効したと称しておりますが、それ以降この処分撤回をめぐって大学内で紛争が続いております。