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68件の議事録が該当しました。

該当会議一覧(1会議3発言まで表示)

1999-06-08 第145回国会 参議院 国土・環境委員会 第19号

代々木ハイツとかグラント・ハイツとか、当時、戦後のどさくさの時期ではあったわけですが、先行オーダーで一気に家を建てた。ところが、家を建てたのは日本人の大工なんですけれども、その中身たるやかつての日本人の住まい方と全く違う。芝生を敷き詰めた一戸建てで、大きさは三十五坪といいましたでしょうか、そんなに大きな家ではなかったようなんですが、非常に今までになかった家を建てた。

脇雅史

1991-03-29 第120回国会 参議院 予算委員会 第12号

このうち百億以上ということでございますが、四十五年から四十九年にかけまして、東京グラントハイツ、武蔵野住宅地区返還に伴いまして横田飛行場住宅などを移設したものがございます。それから、四十八年から五十二年度にかけまして四百四十八億円で、立川飛行場など六施設の返還に伴いまして、これも横田飛行場などへ住宅、学校などを移設したものがございます。

児玉良雄

1990-04-27 第118回国会 衆議院 予算委員会第二分科会 第2号

しかし、豊島区民が大変密集した地域に住んでおりまして、災害等の一たん緩急あった場合には大変避難場所がない状況でございまして、墓地であるとか大学の敷地であるとかあるいは先ほど申し上げましたとおりグラントハイツ、練馬区でございますね、そういうような大変遠いところに避難しなければいけない、そういう状況下でございますから、私は公共用地としてはやはり造幣局の東京支局であろう、こういうようなことで豊島の皆さん方

長田武士

1985-03-07 第102回国会 衆議院 予算委員会第七分科会 第1号

熊代政府委員 東京都におきましては、十二号線の免許区間西新宿高松町間、先ほど申し上げました三十八・九キロのうち、グラント・ハイツ跡地開発に関連する交通機関を確保する必要があることなどの理由によりまして、緊急性の高い放射部新宿高松町間を先行して整備するということといたしまして、第一期区間として高松町−練馬間四・四キロの工事施行認可申請を五十年十二月に行ったところでございます。  

熊代健

1985-03-07 第102回国会 衆議院 予算委員会第七分科会 第1号

東京都は、この十二号線の建設東京都の進めております副都心開発江東地区の再開発グラント・ハイツ跡地開発計画などと密接に関連しておりまして、また既存路線と有機的な結合を図ることによって首都圏高速鉄道網の形成を図る上に不可欠であるということで、昭和四十七年十月に西新宿高松町間三十八・九キロの事業免許申請して、四十九年八月に免許を取得しているところでございます。

熊代健

1984-06-21 第101回国会 参議院 内閣委員会 第14号

内藤功君 同じく郵便につきましてもう一問ですが、東京都の練馬区、板橋区にまたがる旧グラントハイツ、米軍基地跡地ですが、ここに今光が丘団地というのが建設中、一部入居しております。昭和六十七年度には一万二千戸、最終には六万人に上る大住宅団地ができようとしております。しかし、ここには郵便局もまだ建設されておらないし、ポストも設置されていない。今二千四百戸が入っているんですが、それでもない。

内藤功

1983-04-12 第98回国会 参議院 建設委員会 第4号

特殊なところで、グラント・ハイツ光が丘パークは特殊なところだと、こういま言われておったから、ほかはそんなところじゃないんだろうと思う、ほかは。だけれども、そんなのがぼこぼこぼこぼこあったらば、それこそ公団存在価値すら問われなきゃいけない、こう思うんです。  それから、さっきもちょっと話がありましたね、遠、高、狭という、昔、ずいぶんここの委員会でも議論があった。

原田立

1983-04-12 第98回国会 参議院 建設委員会 第4号

これが一番最初に、これは御承知かと思いますが、旧グラント・ハイツでございます。ここで去年の十二月募集いたしております。これの賃貸住宅が一LDK、二LDK、三DKという三種類になっております。一LDKそれぞれ家賃少しずつ場所によって違っておりますが、平均で申し上げますと、一LDKが六万六千三百二十五円、二LDKが八万五千七百三十五円、三DKが八万五千七百七十円ということになっております。  

救仁郷斉

1983-03-05 第98回国会 衆議院 予算委員会第八分科会 第2号

長田分科員 現在グラント・ハイツ跡地都営、公社、公団の各住宅建設中でありますが、そのうち千四百二十三戸すでに完成されまして、この三月から入居が開始されます。こうした状況から、グラント・ハイツ建設中の環状八号線を結ぶ道路、すなわち補助百七十二号線であります。この一部は地域住民から、緊急性が非常に高い、何としてでも早期に開通を望むという声が非常に強く出されております。

長田武士

1983-03-04 第98回国会 衆議院 予算委員会第八分科会 第1号

中川参考人 ただいま御指摘のありましたグラント・ハイツあるいは品川八潮マンモス団地につきましては、事業そのもの大変地元の御協力を得て進めてまいっておるわけでございまして、そういった中で地元受け入れ態勢も相当進んでおりまして、私ども御相談しながら、地元中小業者受注機会が得られるように努力してまいったわけでございます。  

中川友夫

1982-03-08 第96回国会 衆議院 予算委員会第五分科会 第4号

中川参考人 地元と一体になってわれわれグラント・ハイツ開発住宅建設をやっておるわけでございますので、先生の御要望のとおり、今後協力会のメンバーの方々にも積極的に参加していい仕事をやっていただきたいと思いますので、地元業者受注機会が確保されるよう、建築ばかりじゃなしに五団体方々にも機会が与えられるように努力してまいりたいと存じます。

中川友夫

1982-02-27 第96回国会 衆議院 予算委員会第五分科会 第2号

長田分科員 運輸省東京都から出されておる地下鉄十二号線の工事施行認可申請につきましては、現在保留されているわけでありますが、グラントハイツ状況は、昭和六十年にはバス輸送は限界に来ると言われておるわけであります。  こうした事情から見ますと、少なくとも高松—練馬間の四・四キロにつきましては、早期着工がどうしても必要じゃないか。私は毎年、五年間分科会でこの問題を取り上げております。

長田武士

1982-02-27 第96回国会 衆議院 予算委員会第五分科会 第2号

将来一万二千戸の住宅予定されております練馬区のグラントハイツすでに建設が始まっておるわけですが、このグラントハイツ都心を結ぶ地下鉄十二号線の早期着工は、地元住民それから関係団体が強く要望されておるわけであります。都営十二号線につきましては、四十九年に路線免許が出されておりますが、東京都が財政上の制約から建設に踏み切れず、着工が延期をされておるわけです。

長田武士

1980-03-05 第91回国会 衆議院 予算委員会第五分科会 第2号

この計画は、都内最大と言われております大規模開発であるグラント・ハイツ都心を結ぶものであります。しかも、このグラント・ハイツには一万二千戸の住宅建設予定されておりますので、地下鉄線の導入がなければ全く足なし団地となってしまうわけであります。こうしたことからグラント・ハイツ住宅建設ができないという状況にありますが、その後におけるこの計画はどこまで具体化されておるのか、運輸省にお尋ねいたします。

長田武士

1979-04-10 第87回国会 衆議院 決算委員会 第5号

○原(茂)委員 それから最後に、練馬グラント・ハイツ跡地の問題についてお伺いします。これは通告してありますからお調べになったと思うのですが、細かいことは申し上げません。もし必要があれば、私が細かくこういうふうに考えているがどうだという点を、聞きにおいでいただけば書類で差し上げてもいいのですが、どうですか、この担当者はどなたか知らぬが……。

原茂

1979-03-01 第87回国会 衆議院 予算委員会第五分科会 第3号

また着工予定の中には、グラント・ハイツ跡地予定しておりますところの練馬-高松間の十二号線については着工の目途さえも依然として立っていないのが現状であります。このような状況では、昭和六十年を目標とする基本計画の達成が可能かどうか。もし、これが不可能だとするならば、緊急性の高い路線について重点的に建設を推進していく決意があるのかどうか、先ほどの要望とあわせて大臣の決意をお伺いいたします。

長田武士

1978-03-01 第84回国会 衆議院 予算委員会第五分科会 第3号

グラント・ハイツ開発もあるという理由でもって、とりあえず、第一期工事といたしまして、練馬高松間四・四キロの工事施工認可申請が、昭和五十年十二月二十三日運輸省に提出されております。そして現在に至っておるということを私は聞いておりますが、この件について運輸省はどう対処されておるのですか。

長田武士

1978-02-27 第84回国会 衆議院 予算委員会第二分科会 第1号

これは大変広いものですけれども、この斜線を引いた部分をちょっと見ていただきたいのですが、これは避難をする者については非常に深刻でして、杉並の高円寺とか阿佐谷、この辺はグラント・ハイツへ行かなければならない。この間歩きますと二時間十分以上かかる。年とった人なんかは、逃げるよりもそこで死んじゃった方がいいというぐらいなんですね。

松本善明

1977-11-16 第82回国会 衆議院 文教委員会 第3号

それから京都大学でございますが、これは四十六年八月の、東京練馬にあります米軍グラント・ハイツに対する暴動予備事件、これで四十七年の一月に指名手配を受けました当時京都大学経済学部の助手でありました竹本信弘、この人物の処分がことしの六月十八日に京都大学評議会分限免職ということで決定をされて、七月の八日に発効したと称しておりますが、それ以降この処分撤回をめぐって大学内で紛争が続いております。

福井与明